第4回 ミャンマーの大茶商 張彩雲とその一族の歴史(4)

2019-08-09 10:03:51

文?寫真=須賀努

張彩雲の長女、張秀月さんは故郷の安渓大坪で存命であった。彩雲には前述の男子3人以外に4人の娘がいたらしい。秀華、美華、麗華の3人はアメリカ在住だと言い、唯一福建に嫁いだ長女、秀月さんが今も大坪住んでいるとの話だったが、大坪在住の知り合いに聞いても、その存在を知る人はおらず、廈門の親戚筋を頼りに數カ月探し続けていた。

安渓大坪、筆者が親しく鉄観音茶に觸れたのは、もう20年近く前の香港だった。大坪出身、香港で茶縁坊という茶荘を開いた高さんと出會ったことが大きかった。2000年以降、安渓鉄観音は急速に軽発酵になったが、高さんの扱う茶は伝統的な味がしたので、とても飲み易かった。2013年に初めて現地大坪を訪ね、高さんの親族で茶作をしている張さんの家にお世話になり、実際に茶作りを何度も見學した。因みに臺灣の木柵鉄観音茶の元祖ともいわれる、張乃妙もここ大坪の出身であり、その茶作りの歴史は長い。

 

大坪古街

大坪にはそれ以降何度となく來ていたが、今回連れていかれたのは、大坪古街という小さな道。そこには確かに狹くて古い道があり、往時この標高800mの大坪が物資の集積地として栄えたことを物語っていた。その古い建物の一つを指して、「ここが張彩雲ゆかりの茶行があった場所だ」と教えられると、感慨深いものがある。彩雲は1930年代、ミャンマーでその地位を築きながら、故郷でも商売を確実に進めていたのだ。

そしてその道の奧に、元は5階建てだったという住宅が見えた。その中に入ると、にこやかな笑顔の老婦人が迎えてくれた。彼女こそが張彩雲の長女、秀月さん、數え年で94歳だという。彼女と兄の樹根氏、そしてすぐ下の妹はここ大坪で生まれ(この3人が彩雲先妻の子であり、下の兄弟はヤンゴン生まれで後妻の子だという)、その後父親の商売の関係で、ミャンマーヤンゴンに移り住んだという。

 

張秀月さんと

だが1942年の日本軍のヤンゴン侵攻により一族で故郷大坪に戻った際、適齢期だった秀月さんは地元の男性と結婚して、この地に殘ることとなった。因みに大坪村の住民のほとんどが高姓か張姓のため、張秀月さんは高さんと結婚した。「父は第2次世界大戦後、兄の樹根など男たちはミャンマーに連れ帰ったが、私は女だから殘されてしまったのかな」と寂しそうに思い出を語る。

 

80年前に彩雲から贈られた旅行カバン

彼女がとても大切に保管している旅行カバンが出てきた。80年前に彩雲から贈られたというその中には、何枚もの寫真が入っており、それを眺める彼女はまるで少女のような遠い目をしていた。「父は戦後も何度かここに帰ってきた。80年代に會ったのが最後だった」といい、「兄(樹根)はなぜか殆ど帰ってこなかったが、1956年にミャンマー総理の訪中団に加わって、北京で毛沢東主席、周恩來総理と會ったんだ。それが一族の譽れだ」と懐かしそうに言う。

 

周恩來総理と面會する張樹

だが彼女の人生も、父彩雲と同じく決して平たんではなかった。結婚後13女に恵まれたが、32歳の時に夫と死別し、4人の子供を抱えて悪戦苦闘が始まる。「文化大革命」が起こると、「資本家の娘」として批判の対象にもなってしまう。ちょうど同時期にミャンマーも社會主義化、國有化の嵐が吹き荒れており、親子ともども苦難の道を歩いていたことになる。

そして「文革」も収まった頃には、夫に続いて4人の子供の內、3人を亡くしてしまい、途方に暮れていた。「兄樹根や香港に渡った妹(養子に迎えられた義理の弟、との説あり)から支援を得て生活を続けていた」という。更には唯一殘っていた娘も數年前に他界。4人の孫たちはいずれも大坪を離れており、今はお手伝いさんに世話してもらいながら、94歳で一人暮らしを強いられている。指先が麻痺しており、箸を持つことが出來ずにスプーンでご飯を食べていた。

大茶商で地元の有名人、張彩雲の娘がなぜ大坪で知られていないのか、その理由が何となく分かる気がした。正直彼女が一生懸命外國人の筆者に話してくれるのは嬉しかったが、その內容はあまりに辛く、聞いているこちらの方がどうして良いか分からなくなってしまい、最後は親族が話しを打ち切った。

 

1930年代建造の張家邸宅

最後に80年以上前に大坪で張彩雲が住んだという家が殘っているというので、親族に案內してもらった。立派な門の中には、木造2階建ての素晴らしい邸宅が健在だった。だがこの家とて、その昔は匪賊に襲われ、「文革」中も荒らされたと聞く。この建物が今もあるのはある種の奇跡かもしれない。その橫には20年前に親族が共同出資して建てられた5階建ての建物があり、その屋上に「張源美の歴史」が碑文に刻まれていた。そして一族で亡くなった人々の寫真も飾られており、一族の華やかな、そして苦難の歴史を示していた。今や大坪の名士、張彩雲も歴史に埋もれつつあるのは、何とも殘念だが、それが歴史というものかと、この涼しい山の上で風に吹かれながら感慨に浸った。

関連文章
极速赛车做假